【人生を豊かにする体験の仕掛け人 Vol. 1】“田舎の布団屋”が「最高の朝」をつくるまで

2025/10/01 文・Meadow編集部

kagelow Mt.Fuji Hostel / toe BAR&RESTAURANT / yl&Co.in Mt.Fuji / sinso
代表 米林琢磨さん

心に残る時間や空間の裏側には、それを紡ぐ人の物語があります。新連載「人生を豊かにする体験の仕掛け人」では、感性をかたちにし、私たちの暮らしに新しい景色をもたらしてくれる方々に焦点を当てます。

記念すべき第一回は、世界中の旅人を惹きつける山梨県・河口湖のホステル「kagelow Mt.Fuji Hostel」、旅人とローカルが集うバー&レストラン「toe BAR&RESTAURANT」、圧倒的なスケールとデザイン性が存在感を放つ一棟貸しホテル「yl&Co.in Mt.Fuji」、さらには“新しい布団のかたち”と向き合う寝具ブランド「sinso」を手がける、米林琢磨さんにお話を伺いました。


 ―米林さんが、事業を始めたきっかけを教えてください。

すべての始まりは、父の病気で地元・山梨に戻ったこと。親が営んでいた布団屋はすでに傾き、年商はわずか300万円ほど。立て直すしかありませんでした。

何をやったら良いかも分からず、まず取り組んだのは、ポスティングでした。手づくりのチラシを市内の家に一軒一軒ポスティングして回りました。1,000枚配って戻ってきたのはたったの1件。個人客相手には限界があると感じ、すぐに法人営業に切り替えました。

それでも布団だけでは難しく、並行してテーブルクロスのリースも始めました。きっかけは冠婚葬祭の式場で見かけた年季の入った白い花柄のクロス。何十年も変わっていないその光景に違和感を覚え、「同じ金額でデザイン性のあるクロスに変えてみないか」と提案して回りました。

すると、ただ柄を変えただけなのに、一気に7件の申し込みが入って。小さな工夫で市場は動くのだと目の当たりにした瞬間でした。

式場には、家族が寝泊まりするための布団需要もあり、徐々に布団のリースにも広がっていきました。当時は資金も乏しく今のようにクリエイティブに投資できる状況ではありませんでしたが、ひとつひとつ積み重ねてきた努力が実を結び、約1年目で3倍まで売り上げを伸ばすことができました。


―布団屋からなぜ宿泊業へ?

布団屋というものに限界を感じていた僕は、何かを始めるしかない状況の中で立ち上げたのが「kagelow Mt.Fuji Hostel」です。ちょうど、妻の実家が廃業した民宿を保有していて、それをどう活かそうかと考えていたときにひらめいたのがバックパッカー向けのホステルでした。このエリアは観光地でありながら、そうした方向けの宿が存在していなかったので、そこにチャンスを感じました。加えて、自分自身が世界中をバックパッカーとして旅してきた経験があったので、その知見を生かせると確信しました。

「kagelow Mt.Fuji Hostel」はバックパッカー向けのホステルなので、ターゲットは訪日外国人。ならば“和”をテーマにデザインしようと決めました。ただし、伝統的な和や定型的な意匠のようなものではなく、自分たちが考える“かっこいい和”を表現しようと考えたのです。

手づくりで仕上げた「kagelow Mt.Fuji Hostel」には、図面すら存在しません。僕が地元で信頼する大工とともに一からかたちにしました。入り口の大きな扉は、近所に落ちていたものを拾って。木材や鬼瓦は、友人の家の解体でお裾分けをもらって。お金がないのだから、選択肢はありませんでした。あるものを残し、そぎ落とし、新しいものをつくる、この経験が僕の創造力の核となっています。

1階には「toe BAR&RESTAURANT」を併設し、宿泊ゲストも地元の方も集える空間をつくりました。驚いたのは、オープンからわずか1年で某予約サイトの山梨県集客率No.1を獲得したこと。ポスティングで学んだ「需要を見極めてかたちにすること」、その大切さをここでも改めて実感しました。


―一棟貸しホテル「yl&Co.in Mt.Fuji」はどんな思いから?

「kagelow Mt.Fuji Hostel」ではインバウンドをターゲットにしてきましたが、実際には日本人マーケットの方が大きく、バックパッカーも旅行者のわずか数%ほど。ターゲットがあまりにも狭すぎたので、もっと広いマーケットを見据える必要がありました。

そこで、「kagelow Mt.Fuji Hostel」とは真逆の場所をつくろうと考えました。当時の河口湖周辺には、50平米ほどの空間に畳とベッドを備えた似たようなホテルばかりでした。そうした中で、「あえてオーバースペックでユニークなコンセプトの宿をつくったら面白いのでは」、と発想したのです。

たまたま出会ったのが、敷地面積3,000平米(建物は370平米)という広大な建物。実は、その出会いも布団屋がきっかけ。ある日布団を納品に伺った先がそこでした。たまたまオーナーの方がいらっしゃって、その場で「売ってください」と直談判しました。元々撮影スタジオとして使われていた建物をリノベーション。ホテルとしての効率は決して良いとはいえませんが、この“贅沢すぎる空間”こそが、支持される理由になったのだと思います。


―寝具ブランド「sinso」を始めた理由は?

布団屋の息子として生まれたことへのコンプレックスが「sinso」の立ち上げに大きく影響しています。子どもの頃、少年野球の送り迎えは「寝装の米林」と大きく書かれた看板車。いつも恥ずかしい思いをしていました。けれど、そのコンプレックスがあったからこそ布団屋というものを俯瞰して見れたのかもしれません。暮らしに欠かせない「眠る」という行為において寝具が果たす役割の大きさを実感する中で、「クラシックな寝具を新しいデザインで生まれ変わらせれば、何か変わるのでは?」とひらめきました。

決定的な出来事は、東京のビジネスホテルで体験した「眠れない」一夜。布団屋の息子として、子どもの頃から上質な布団でしか眠ったことがなかった僕にとって、化学繊維入りの布団は衝撃でした。布と布が擦れる“カサカサ”という音が気になり、一晩中眠れなかったのです。そこから生まれたのが「sinso」の核となる“音”へのこだわりです。多くの人は気づきもしないかもしれませんが、その音ひとつで睡眠の質は大きく左右されます。だからこそ「sinso」では、素材選びの段階から音まで徹底的にこだわっています。

「うちの寝具は音がいい!」というのが決め台詞です。

それから、宿泊業はベッドの数で売上の天井が決まる産業ですが、寝具は小売業。売れた分だけ広がりがあります。無限の可能性に気づいたとき、「これはとてつもない武器になる」と確信しました。


―事業を続ける上で大切にしていることは?

大切にしているのは「ブランドの世界観とスケールの両立」です。こだわりだけでは飯は食えないし、売上だけでは心に響かない。だからこそ、マーケティングに寄りすぎず、クリエイティブに偏りすぎず、その中間でどうバランスを取るかが重要だと思っています。

数字にこだわるマーケティング、世界観にこだわるクリエイティブ。どちらも僕が信頼する仲間がいて、その存在がありがたい。僕の役割は、その両者のバランスを取りながら事業を成長させることだと思っています。


 ―インスピレーションの源は?大切にしていることはありますか?

バックパッカーとして旅をした経験が大きいです。僕は地図を見るのが大好きで、就職活動の時期に「みんな一斉に同じことをする」ことに違和感を覚え、反発するように旅に出ました。ただの反抗期だったのかもしれません(笑)。南米のエルサルバドル、グアテマラ、ホンデュラス、ニカラグアなど、とにかくさまざまな国を巡りました。

いろんな世界を巡って、感じること。そして本を読んだり、良いものを食べたり、日々インプットを大切にしています。世界を知れば、自分の悩みすらちっぽけに感じます。

それから、環境を変えること。環境が変われば、考えざるを得ない状況になる。大事なのは「考えることを止めない」こと。考え続けることで思考に深みが生まれ、本質に近づける。これは日々スタッフにも伝えていることです。


―最後に、これを読んでくださっている読者に、一つアドバイスをするなら?

「美意識を持つ」ということです。ここでいう美意識とは、そもそも自分が何をしたいのか?この世界をどう変えていきたいのか?その意思決定に結びつく「直感」や「感性」。

僕らの会社は「最高の朝をつくる」と決めています。その理念に繋がらないことはやらない。いくらお金になることであっても、自分たちの美意識に反するものは選びません。

存在価値とは、「美意識を貫くことで生まれるもの」だと、僕は信じています。


米林 琢磨さん

1982年山梨県生まれ。大学では経済学部貿易学科に在籍。卒業後、バックパッカーで世界一周の旅に出る。帰国後は議員秘書や保険会社で経験を積む。2012年、父の大病のため故郷へ戻り、家業の布団屋を引き継ぐ。2015年に「kagelow Mt.Fuji HOSTEL Kawaguchiko」「toe BAR&RESTAURANT」、2017年「yl&Co.in Mt.Fuji」をオープン。2022年「sinso 」をスタート。